タイトロープ

人生綱渡り。決心のきっかけはいつも時間切れ。

キミオイ感想

あすちゃんがメインキャストを務めた映画「あの頃、君を追いかけた」(通称:キミオイ)を観てきたのでその感想を。
(以下ネタバレ含むので、嫌な人はUターン)
 

 

山田裕貴くん演じる主人公・水島浩介と、クラスメイト・早瀬真愛(齋藤飛鳥)の10年に渡る恋模様を描く物語。
いやー、良かった。
 
仲良し友達グループの中で様々な恋のベクトルが飛び交い、その中でも浩介と真愛の両想いは誰の目にも明らかで、でも本人たちはどこか煮え切らなくて、あと一歩を踏み出せずにいる。そんな状態。
そういうことって、実際わりと良くあるよね。
付き合ってるわけではないのに、傍からはそう思われて変に気を遣われたり。もちろん自分は彼女のことを好きで、でも踏み出せなくて。けど「向こうもこっちのこと意識してるんだろうな」って期待もあったり。あ、友達から聞いた話ですよ。
初めは強気で出られたのに、意識した途端に弱気になってしまったり。「嫌われてしまうんじゃないか」って不安に襲われて、踏み出すことができなくて。しつこいけど、友達の話ですよ。
 
劇中で、真愛が「自分が浩介には相応しくないのでは」「浩介が好きになった自分は本当の自分じゃないのでは」って当惑するシーンがありましたね。
でも、「本当の自分」ってなんだろう。「人を好きになる」「人から好かれる」ってどういうことだろう。
確かに、相手が自分の長所だけを見て、勝手に良いイメージを作り上げてしまっているんじゃないかって不安になることは多々ある。だけど「自分はこういう人です」と自分で自分を定義する必要があるのだろうか。自分以外の誰も知らない自分。それって、存在していないのと同じことでは?
例えば、自分では社交的だと思っていても、周りからはただの馴れ馴れしい人だと思われていたり。自分ではクールだと思っていても、周りからは不愛想で暗い人だと思われてたり。
人は他人との関係性の中で形が定まるんじゃないのかな。だから、相手の中にいる自分も本当の自分だと思うのです。
好きになる、好かれる、というのも同じことかなと。例えば、何気なく誰かに掛けた言葉が、思いがけずその人の心の支えになったり。もしかしたら、それは勘違いなのかも知れない。だけど「自分はそんな良い人じゃない」と思っていても、相手にとっては良い人なんだよね。勘違いでも、本人にとっては真実なんです。
真愛がそこに気付いていれば、浩介の想いを素直に受け入れることができたかも知れないって思いました。
 
そして哀しいことに、そんな二人の不器用な恋は、すれ違いから終わりを告げる。大きなヤマが2ヶ所ありましたね。
最初のヤマは大学に入って最初の夏。「自分のどこが好きなの」と真愛に問われて、望まれる答えを浩介が提示できなかった時。さらに風船を飛ばす時、浩介は真愛に気持ちを問いかけておいて、やはり答えなくて良いと言ってしまった。真愛はあの時、自分の気持ちを言わせて欲しかったんじゃないかな。橋のシーンで一度は振ってしまったような感じになっちゃったけど、真愛はチャンスをもう一度提示してくれたと思うのね。
そして次のヤマは異種格闘技戦の後。あれは本人たちも振り返っている通り、浩介が戻って素直に謝っていれば繋ぎ止められた筈。
 
それでも尚、浩介は真愛を思い続けていたし、真愛も「浩介ほど私を好いてくれる人はもういない」とハッキリ言っている。けど。けど。ヨリは戻らなかった。
地震の後の電話でパラレルワールドの話を出してるあたり、もう浩介も真愛と昔のような気持ちで付き合うことはできないって解っていたんだと思う。そのちょっと前のシーンの「女は先に大人になり、男はそれに気づくことがない」「ずっとこの後悔を抱えたまま生きていくんだろう」っていう独白にも、それが表れている。
 
電話のシーンが僕的には一番切なかった。好きなのに、道が交わらない。言葉にし難いもどかしさ。
この時の真愛の「浩介が髪を切った夜に月が綺麗で、浩介の髪を切ったのが私だったら、きっと私たちは付き合っていた」って言葉がとても象徴的で、懐古とか後悔とか、今も仄かに抱く恋心といった想いが込められているように感じました(過去形で語っているところが特に)。
 
若い人からすると「なんで2年半も連絡取らなかったんだ」って思うかも知れないけど、二十歳過ぎると案外そんな風にして、どんどん時間だけが過ぎていくってことは往々にあります(笑)。そうやって、たった一つの過ちに心が縛られて何年もずっと身動きが取れないってこともあるよなぁと。その後で別の誰かと結ばれても、心の奥に棘が刺さったような違和感が残っていて。だけど、適当な気持ちで今の相手を選んだわけではなくて。
自分の体験にも共通するものがあって、ノスタルジィを強く誘われる物語でした。
 
あ、自分の話って言ってしまった()
 
齋藤飛鳥

齋藤飛鳥とは編集