タイトロープ

人生綱渡り。決心のきっかけはいつも時間切れ。

光の射す方へ

西野七瀬さんは太陽に向く方を教えてくれる」

 

昨日、Twitterを通じて知り合ったなーちゃん推しの方と、二人で食事をしながらいろいろ話をしていた時のことです。

その人(ここでは「Sさん」と呼びましょう)とはTwitterで交流を持って日が浅いのですが、やり取りの中で、推しメンへの好意の表し方とか応援の仕方が似てるなと思って、勝手に親近感を持っていた相手です。幸いにも、Sさんもそう思って下さっていたようで、なーちゃんラストとなった年末の大阪全握では初対面の僕のためにわざわざ券を届けて下さったりもして、それは僕が推しメンに会う決心をする最後のひと押しになりました。

 

遠方の人なのでなかなか会うこともできず、ようやく巡ってきた機会でした。いざ話をしてみると、ヲタ歴や推し遍歴もわりと似通っていて「あー、それそれ!」と初会食にも関わらず話題が次から次へと飛び出しました。

そんな中で、「卒コンでこれだけは絶対に聴きたい曲は何か」って話になって、僕は「光合成希望」を挙げました。この曲、本当に好きなんですよ。お題に関係なくとも、3本の指に入るほど好きです。曲調もさることながら、歌詞の持つ世界観が大好きです。

だけど、どこがどう好きなのと問われると説明が難しくて。漠然と「僕がなーちゃんに対して抱いているイメージの通りだから」と言ってしまえばそれまでなんですが。

 

僕にとって西野七瀬さんは太陽そのもので、この曲の陽光あふれる温かい雰囲気がピッタリだと思っています。一方で、このヒロインは光当たる世界に憧れる内気な女の子で、現状では太陽とはかけ離れた存在として描かれています。

「向日葵が似合わない」と言われてしまう彼女

だけど実は風に吹かれて走るのが好きな彼女

臆病な自分を変えたいと願っている彼女

そんなヒロインの姿もまた、デビュー当初は泣いてばかりいたなーちゃんの姿に重なったりします。ただ泣いているだけでなくて、足掻いて、自らを奮い立たせて怖さに立ち向かおうとする意志が見え隠れしているというか。これはこれで彼女のイメージにピッタリなんだけど、でもそれは太陽じゃないよね?と。

太陽でもあるし、太陽を仰ぎ見る側でもあるし、じゃあ僕の中では「西野七瀬はどっち側なんだろう」と考えると一言で表せない。

 

Sさんとの会話はその後も止まることを知らず、あちこちに話題が飛んで行って、卒コン曲の話題はいつしかフェードアウトしてしまいました。ところがSさんが、ふと冒頭の言葉を口にしたのです。その瞬間、さっきの疑問に対する答えが見えた気がしました。

 

貴人の尊称に「陛下」や「殿下」というものがありますね。これは、高貴な人に直接声を掛けるのは無礼とされた時代、その下に控える従者に呼び掛けたことの名残と言われています。「陛」は「きざはし」と読み、玉座に続く階段を指します。つまり陛下というのは玉座の下にいる従者のことです。それがいつしか玉座の上の貴人(王)その者を指す言葉に転じました。

 

Sさんの言葉を聞いた時に、なぜかこの話が頭に浮かびました。

玉座の上に座す者も、その下の従者も、そしてまたその間を繋ぐ階段も、陛下という言葉が持つ世界に内包されるように

僕にとって西野七瀬とは、

大元の太陽そのものでもあり、太陽に恋焦がれる向日葵でもあり、また太陽の場所を向日葵に教える強く温かな陽光でもあるのだと

どれか一つではなく、それら全てが彼女の世界に内包される要素なのだと気付きました。

 

そんな漠然としたインスピレーションを言葉に置き換えることができたのは、自分にとっては非常に大きな発見で、このことだけでもSさんとの邂逅は有意義なものであったと思えます。

 

僕は、明るい未来を思い描くことができず、人生どん底だと思っていた時に、なーちゃんがバンジージャンプに挑む姿を見て、立ち上がる勇気をもらいました。暗い井戸の底で藻掻いていたところに、一筋の光が射した気がしました。あの光もまた、僕にとっては、光合成希望の中で描かれる世界に連なる光でした。

話を聞いてみると、Sさんも同様な経験を持っていて、だからこそ、彼女の存在が支えだと言っていました。

西野七瀬さんのこれからは勿論のこと、彼女が愛した、彼女を育ててくれた、乃木坂46のこともずっと応援していきたい。Sさんと、お互いの共通する気持ちを確かめ合って、固い握手を交わして別れました。

そんなことを思い出しながら歩く家路は真っ暗ながらも、僕の心にはハッキリと、行く先を照らす光が浮かんでいました。