タイトロープ

人生綱渡り。決心のきっかけはいつも時間切れ。

タイムマシン

ミスチルのライブに行ってきました。

最近は乃木坂以外のライブにも足を運ぶことが増えたんだけど、「歌の持つ力って凄いんだな」ってのを改めて実感したので、それを文字に書き留めておこうかなと。

 

良く行動を共にしている、年が近い乃木ヲタ仲間に誘われて、17年秋のイエモンライブを皮切りにB’zラルクミスチルとライブ参戦しています。

ここで念のために補足しておきますと、いずれも20年以上前、僕が学生時代に「ド」が付くぐらいでは全っっっ然足りないぐらいにドハマりしまくったバンド達です。僕の青春そのものと言っても過言ではない。

 

で、それらのライブに行って感じたのは、音楽にまつわる記憶って簡単に時間を飛び越えるんだということ。

何かで聞いた話だけど、人間の五感の中では嗅覚(匂い)が記憶と一番結びつきやすいそうです。要は、何かの匂いを嗅いだ時に何かを思い出しやすいということ。それは自分の経験から思うとワリと腑に落ちる話なんだけど、音楽もそれに負けてないと強く実感したのです。

 

20年間聴いてなくて存在すら忘れていた曲であっても、イントロが流れた刹那、メロディはおろか、歌詞さえも思い出せるというというのは、我ながら驚きとしか言いようがない。しかも歌だけじゃないんだよね。それを聴いていたシチュエーションまでも、鮮明に思い出してしまう。

女の子とドライブしながら緊張混じりで談笑していた時のこと

ラジオを聴いて眠さに耐えながらレポート作成を頑張ったこと

カラオケで仲間とバカ騒ぎしたり、好きな子の前でカッコつけて苦手な曲を歌ってみたりしたこと

いや、事柄だけじゃなくて、その時のリアルな感覚までも。

着ていた服。立ち寄ったファミレスで食べたメニュー。吐くまで飲んだ安酒の味。髪の匂い。耳に残る声。繋いだ手の感触と胸の高鳴り。失恋の痛み。

 

考えてみれば、どのシーンにも、それらの音楽は僕の傍らに在った。

歌は歌自身が持つ意味に留まらず、それを聴いていた僕の時間を、世界を、丸ごと再構築してくれた。タイムカプセルのように過去が現在の自分の前にやってくるのではなくて、さながらタイムマシンのごとく、自分の意識が過去のある時点・ある場所に飛んでいく。そんな感覚。

苦楽を共にした愛車のシート。通い詰めたコンビニ。休み時間の教室。一度しか行ったことのない街の片隅の廃れたカラオケボックス

とうに消え失せたはずだった20年以上前の些細な記憶が、昨日のことのような瑞々しさを保ったまま僕の周囲に形を現す。そんな常軌を逸した不思議な体験にも関わらず、自分にとってはごく自然なこととして受け入れられた。

 

今回のミスチルのライブツアーは「Against All GRAVITY」と銘打たれていました。

これについてのボーカル桜井さんの言葉(うろ覚え)

ここでいう『GRAVITY』というのは『対峙すべきもの』という意味。そして、ただの『GRAVITY』じゃなくて『All』。例えば、空に飛び立ちたいと思っている人からすれば、逆らう対峙すべきものは下からの重力。だけど、地に足を付けて立っていたいと思う人からすれば、浮力こそがGRAVITYになる。僕ら(ミスチル)にとって、今対峙すべきものは『時間』。年は取りたくないよね、って。

今日ここで僕らの歌を聴いて、皆さん各自がそれらに対峙する力を、一でも十でも、百でも持って帰ってくれたら嬉しい。

今日ここで聴いた歌は、ここに居合わせた人たちにとってのタイムマシンになるに違いない。桜井さんの言葉を聞いて、そんな考えをますます強くした。ライブ中、曲を聴いただけで自然に涙が流れてくる場面が何度もありました。まぁ、これは年食って涙脆くなったせいもあると思うけど(笑)。

 

現在、僕の周りには乃木坂46のことを好きな若い子たちがたくさん居ます。彼ら(おそらくこれを読んでくれているであろう人の過半数)にとって、乃木坂の歌は、10年20年後に、僕がここで挙げたミュージシャンの歌と同じような役割を果たすんだろうなと思います。もちろん僕にとっても。

夢中で推しメンを応援していたこと。乃木坂についてヲタク同士でわいわい盛り上がって話したこと。

 

そんな風に、音楽は経験や感情を脳裏に刻みつけて、自分の一部となり得るのだと。楽しいことがそうやって自分の中に積もっていくからか、最近は年を取るのが以前ほど嫌じゃなくなった。

今のままで良い。変化を恐れる。そんな気持ちがあるのは当然だと思う。

けど、今が思い出になるまで、全力で駆け抜けてみても良いと思うよ。今が思い出になっても、歌が聴こえてきたら、いつでも時間を飛び越えられるから。

 

ーーーーーーーーキリトリセンーーーーーーーー

「思い出と記憶って、どこが違うか知っている?」
「思い出は良いことばかり、記憶は嫌なことばかりだわ」
「そんなことはないよ。嫌な思い出も、楽しい記憶もある」
「じゃあ、何です?」
「思い出は全部記憶しているけどね、記憶は全部は思い出せないんだ」
森博嗣すべてがFになる」より)

 

今が思い出になるまで