タイトロープ

人生綱渡り。決心のきっかけはいつも時間切れ。

Against All GRAVITY

乃木坂46中村麗乃ちゃんの出演する舞台「October Sky -遠い空の向こうに-」を観てきました。とても印象深い劇だったので、感想を書き残しておこうと思います。

感想というよりは主にあらすじを書き連ねていくことになるけど、これは僕の本作品への感想を述べるために必要なステップなので、承知していただきたい。

 

作品の主人公、ホーマー・ヒッカムは実在するNASAの技術者。
世界初の人工衛星ソ連スプートニク1号が宇宙に飛び立った1957年、アメリカの炭鉱の町で育った高校生のホーマーが宇宙に憧れを抱き、同級生と共にロケット作りに励んだという自伝小説を基にしたミュージカルだ。
若者の夢や挫折や恋を描いていて、わりとステレオタイプな進行ではあるけど、時代や洋の東西を問わない普遍的なテーマを感じました。

 

ホーマーの育った町は炭鉱の町で、住民の生活や経済は、この炭鉱の産業を中心に回っている。彼らは余程の才能や運を持っていない限り、大人になったら、炭鉱で働き、そしてこの町に骨を埋めることが、暗黙の了解として描かれている。ホーマーの兄は地元で有名な学生フットボールの注目選手で、奨学金を得て大学に進むことが決まる。一方のホーマーは平均的な学生で、炭鉱会社で重要なポストを務める父から、学校を卒業したら父の後を継ぐことを嘱望されている。
筒井あやめちゃんが主演を務めた「目頭を押さえた」を観た時に感じた閉塞感と同じ圧を、ここでも感じた。

ある夜、ホーマーは星空を横切るスプートニクの輝きを見た。そして、ラジオでスプートニクからの電波による無機質な信号音を聞き、見果てぬ世界の広がりと宇宙の波動を感じて、自分も手作りロケットで宇宙を目指したいと考え始めた。

最初は、筒に火薬を詰めてオモチャの飛行機の羽根を取り付けただけの粗末な、粗末どころではない、そこいらに市販されている打ち上げ花火の方がマシだと思えるような出来のロケットだった。当然テストは失敗して、自宅の庭の柵を吹き飛ばし、ホーマーは笑い者になる。
それでも彼はめげなかった。学友を仲間に引き込み、ますますロケット作りに没頭していく。教育熱心なライリー先生の真っ直ぐな声援や、炭鉱技術者のバイコフスキーの助力を得て、彼らのロケットは精度を上げていき、学生の全米科学コンテストにエントリーされるまでになっていく。最初は彼らを馬鹿にしていた町の人々も、徐々に熱が伝播して、ホーマー達「ロケットボーイズ」を応援し始める。ロケットが徐々に飛距離を伸ばしていく様は、そのロケットが人の心を推力としているのかと思う程だった。

 

そんな中、ホーマーを応援してくれない人物が二人。

 

一人は父親のジョン。息子のロケット作りを子供の遊びだと一笑に付し、炭鉱会社で働く準備をしろと迫り、ホーマーとの対立を強めていく。母親のエルシーは、息子の夢を応援しながらも、この町の産業や家族の生活を支える夫の正しさを理解しているからこそ、二人の板挟みに心を痛めている。

そしてもう一人は、ガールフレンドのドロシー(麗乃)。ドロシーはホーマーへの想いを歌い上げる。

「この町であなたに恋をした それだけで良いわ」

彼女はホーマーの事を応援したい反面、彼が自分の知らない遠いどこかへ飛び立っていってしまうのでは、という不安に駆られていた。

だいたい昔から、男は狩り場を求めて世界を外へ広げて行って、女は安定を求めて世界を整え固めてきたように思われる。それはどちらが正しいとか優れているとかではなく、それぞれの立場に於いて、理があって、譲れない理想があったはずだ。でも、そうやってお互いの理想が噛み合わなかった時、どうするべきであろうか。若い二人には答えが出せず、ただ惹かれ合う恋心だけがあった。

 

着実に進歩してきたロケット作りだったが、ある時、たった一回の失敗が原因でジョンをはじめとする炭鉱会社の怒りに触れ、ホーマーはロケットボーイズから脱退させられてしまう。
加えて、炭坑で事故が発生し、ロケット作りを手助けしてくれていたバイコフスキーが命を落とす。さらにジョンも重傷を負い、ホーマーは父の代わりに炭鉱で働くことを余儀なくされる。

 

ロケット作りへの未練を残しながらも炭鉱で働くホーマーだったが、そんな彼をロケット作りに引き戻し、背中を叩いてくれたのは三人の女性だった。

一人は母・エルシー。密かに貯めた金があり、息子を大学に行かせるためなら、夫と別れることも辞さないという。

もう一人は病気で療養していたライリー先生。夢を追うことの大切さを説いて、心に響く詩を与えてくれた。

そしてもう一人はドロシー。愛する男が自分の元に留まるよりも、自身の夢を追い掛けてくれることを選んだ。

「この町からあなた飛び立つの それは素敵なこと」

この時、麗乃ちゃんとドロシーの形が完全に重なり、彼女自身の恋心や芯の強さを歌い上げているような感覚に包まれました。また、乃木坂46というグループから離れて単独で舞台に臨む彼女の立場は、この物語のテーマにも通じるものであると感じ、涙が溢れてきました。

 

そうしてホーマーはロケットボーイズの元に戻り、最終的に彼らの研究はコンテストで優勝を飾る。また、父ジョンとも和解し、ロケットボーイズの最新試作機はホーマーの提案で、ジョンの打ち上げ合図によって空高く舞い上がり、物語は幕を閉じた。

 

さて、ここまで書いてみて改めて本作品で感じたテーマは、
「心を縛る力と、そこからの解放」
です(前置きが長くてゴメンナサイ)。

 

多数の男が炭鉱に潜って泥臭く働く姿は、もちろん労働や身近な人の為に尽くすことの尊さの一面ではあるけど、同時に、枷に縛られ、永遠に地の底を這い回る虜囚のようでもある。まして、自らが縛られるだけでなく、他の誰かをも縛ろうとするなら、それは完全に呪いの類だ。

「目頭を押さえた」の感想でも述べたことだけど、人の心を縛りつける見えない力というのは確かに存在している。

ガンダムのように地球の重力が人の魂を引きずり込むとまでは言わないけど、重力というのは、見えざる力が、誰にとっても非常に分かり易く具体化されたものだと思う。炭鉱という穴倉もまた、人を地べたに押さえつけて一つの場所に閉じ込めようとする力を連想させる要素だ。

 

とは言え、父やドロシーがホーマーを引き留めようとした想いは、それほどネガティブなものではなかったと思う。大切な相手に健やかに過ごして欲しいとか、ささやかながら安定を望む気持ちだとか、ほんの少し「安全寄り」なベクトルが、いつの間にか完全にホーマーと逆向きになってしまったに過ぎない。
人を縛りつける力の源のほとんどは、そういった、持続や安定を希求する願いだったはずだ。でも、だからこそ、理想に向かって飛び立ったとしても、ほんの僅かな緩みや弱気によって、簡単に推力を失って地面に引き戻されてしまう。それどころか、周囲の人間までも一緒に地に引きずり下ろしてしまう。人が内在的な重力の枷から逃れるのは、容易いことではないのだ。

 

翻って、地球の重力圏からの脱出というのは、そのような見えざる力からの解放の、一つの到達点、理想の具現化なのだと思う。重力の枷を切り裂き、光り輝く糸を引いて天に昇っていく彼らのロケットを見て、そんなことを考えました。

 

重力の概念に気付くよりも前から、大地の形を知るよりも前から、人は空の高みを目指してきたはず。この身体を地に縛る枷を切って、自由に空を飛びまわることを夢見ていたはずだ。

鳥のように。虫のように。太陽のように。あるいは神のように。

人間には空を飛ぶ機能は備わっていないけど、その反面、空を舞うことへの憧憬が遺伝子レベルで刻まれているのではないか。それは世界各地の神話・伝承や、霊魂が空に昇るといった迷信にも表れている。

宇宙までの距離は、たった百㎞。東京~静岡間より短い。その百倍以上の距離にある地球の裏側さえ気軽に行き来するようになった現代でも、宇宙に行くには遥かに大きな困難がある。数千年前も今も、人は同じ壁に阻まれ続けて、同じ夢を見続けている。それは、人類の社会や精神構造が、数千年の間ずっと停滞していることの表れではないか。

勿論、当然だけど「心を縛りつける力」と「実際の重力」に相関関係があるとは思っていない。だけど、これらの力には共通する部分が多く、相似なのだと思う。この考えはわりと譲れないし、至る所で意識させられる今日この頃。

だから、もしも地球の重力を簡単に振り切る術を手にしたなら、その時、人は一段高みに上って、自分達を縛りつける力からも解放されるんじゃないだろうか。と、そんな気がしている。

 

余談:
タイトルの
OCTOBER SKY って、
ROCKET BOYS のアナグラムだったんですね。

 

なお、このエントリーのタイトル「Against All GRAVITY」は2年前に観に行ったミスチルのライブツアーのタイトルから。