タイトロープ

人生綱渡り。決心のきっかけはいつも時間切れ。

「もしもやり直せるならどこまで巻き戻そうか。君と初めて出逢った日それとも好きになった日」

だいぶ前にタグでやったお題に答えてみようと思って。

「永遠なんてない」で始まり、「それすらも夢だった」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば3ツイート(420字)以上でお願いします

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ーーーーーーーーキリトリセンーーーーーーーー

 

「永遠なんてない」

君の言葉を鼻で笑って振り向きざま、(何それ、ラノベみたい)と言い掛けて咄嗟に呑み込んだ。君の表情を見た瞬間、自分が選択を誤ったことに気付いてしまったから。

彼女が悩んでいることには薄々だけど感付いていた。それなのに僕は、救いを求める手を振り払ってしまった。優しさを勘違いして自分の気持ちに蓋をした。君のために敢えて厳しくあろうとしたなんてただの言い訳で、実は踏み込むのが怖かっただけだ。君の顔に浮かんでいたのは何という心境だったのだろう。怒り?失望?それとも空虚だろうか。

「一生好き」「永遠にそばにいる」それまでずっと彼女に投げかけていた自分の言葉が途端に安っぽく思えた。たぶん、これから先、僕らが同じ空を見上げることは二度と無いのだろう。

僕の心に刺さった棘。

瞼に焼き付いた君の表情。耳の奥に反響する君の声。

この失敗から心を解き放てるなら、全てを巻き戻したい。この棘が消え去っていることを願って眠りに就こう。

次に目覚めた時、僕は思うだろう。

「君と過ごした時間、それすらも夢だった」

 

ーーーーーーーーキリトリセンーーーーーーーー

 

464文字だそうです。誤差の範囲ってことで良い?()

ずっと眠らせてたんだけど、キミオイ見てインスピレーションもらったので勢いで書き上げてみました。

Stairway to Heaven

ミュージカル「モーツァルト!」を観てきた感想を少々(2回鑑賞)。
観てからだいぶ時間が経ってるのは御容赦ください。
 
芸術は人心を動かす。音楽は人の内面に最もシンプルに訴えかける手段。
金銀宝玉のように、それ自体に価値がある。まさしく人の魂を昇華させる、天への陛。
そして、それを掌握することは富と権力の証。政治とも密接に結びついていて、歴史を形作ってきた。
ゲーテはこう書いた。軍隊の音楽は、まるで拳を開くようにわたしの背筋を伸ばす、とね。われわれが空港やカフェで聴くように、アウシュビッツにもまた、音楽は在った。目覚めを告げる鐘の音、歩調を合わせる太鼓の響き。どれほど疲れきっていても、どれほど絶望に打ちひしがれていても、タン、タン、と太鼓がリズムを刻めば、ユダヤ人たちの体はなんとなくそう動いてしまう。音は視覚と異なり、魂に直に触れてくる。音楽は心を強姦する。意味なんてのは、その上で取り澄ましている役に立たない貴族のようなものだ。音は意味をバイパスすることができる」
伊藤計劃虐殺器官」より)
あれはたぶん、今よりもっと娯楽がシンプルで、その種類も、そこに触れる手段も機会も限られていた時代のお話(その辺の時代背景を考慮しないと、大司教との確執のシーンとか「偉い人に何言われたって良いじゃん」ってなっちゃうと思うのよね)。
それゆえに、好きなように曲が作れない葛藤もたくさんあったのだろうなと。芸術に疎い自分が語るのもアレだけど、抑圧された心の奥底から湧き上がる情動が、より良い作品を生み出したって側面もあったのだと思う。

 

まぁ、御託はこの辺で良いや(笑)。

主要キャストの印象を書いておきましょうかね。

 
山崎ヴォルフガング:やんちゃで子供のように素直で、劇中で「プリンス」と呼ばれるように、奔放で周りを引っ張っていく印象。現実でも彼は王子様ぶりを爆発させていますよね。
古川ヴォルフガング:スマートで涼やかで、それでいて若さゆえの脆さや危うさが見え隠れして、周りが放っておけない印象。
全く同じシナリオであるにも関わらず、演じる人でここまで物語の印象が変わるものなんですね。
 
あと男爵夫人を演じた涼風真世さん香寿たつきさん、どちらも素敵でした。立ち居振る舞い、歌声、ただただ美しいと感じました。
涼風:高嶺の花と呼ぶに相応しい、高貴で気品あふれる女性。ヴォルフガングに対しても「気高くあれ」とその背中で語っているような。
香寿:慈愛に満ちた母のような存在感でヴォルフガングを優しく見守っている印象。歌声の柔らかいこと。
 
いくちゃん演じるコンスタンツェは歴史上「悪妻」と呼ばれた女性。でもストーリー上では違う側面が強調されていましたね。
家族との確執。夫と心を通わすことができない苛立ち。「悪妻」ではなく、「良妻になろうとしてなれない」女性でしたね。その理想と現実のギャップに葛藤する姿が強く描かれていた印象。
自分の実体験に重なる部分があって結構凹みました()
 
正直、いくちゃんが演じると可愛くなっちゃってアレなんですが、でも考えてみたら彼女も立派な成人女性なんですよね。
確かに序盤は幼い雰囲気を前面に押し出してて可愛さ全開だけど、中盤以降マダムモーツァルトと呼ばれる頃には、少女が大人の女性に変貌していく姿をしっかり演じていたと思います。
一番最後に全員で歌う場面、メインキャスト5人が他の役者の間を通って最前列に来るんですよ。その時ど真ん中を歩いてくるんですね。市村正親さんや、錚々たる役者さんを脇に従えて立つ姿のなんと堂々としたこと!
歌やストーリーにも感激したんですが、そのシーンで「いくちゃん凄いよ...」って思って一番泣きました。w
 
まぁ、そんな感想です。
 

奇跡と日常

問・「ありがとう」の反対の意味の言葉は?

 

これね、最近はネットでも普通に広まってる話で答えを知ってる人も多そうなので、引っ張らないで答えちゃいますが。

答えは「あたりまえ」です。

「ありがとう」は「有難う」と書きます。「有り難い」つまり「有る」のが「難しい」ということ。ただそこに有ることさえ難しい存在が、そこに有ることへの感謝の表現。なので、その反対は、「有って当然」と考えて感謝しないこと(=あたりまえ)になるわけですね。

※ ここには異なる解釈があるのですが、話の収拾つかないので割愛します。サラッと流してください()

 

ーーーーーーーーキリトリセンーーーーーーーー

 

さて、乃木坂46の22ndシングル「帰り道は遠回りしたくなる」のMVが公開されました。

乃木坂46 『帰り道は遠回りしたくなる』 - YouTube

MVの中で西野七瀬演じる女子大生が、同じく西野七瀬演じるアイドルに向けて「ありがとう」と書いた紙を掲げます。さらにアイドル西野がJD西野に向け、指で空中に「アリガト」と書いて返します。

僕、このMVが全般的に好きなんだけど、このシーンが特に好きです。

何が好きかっていうと、彼女たち(乃木坂ちゃん)が集ってくれたことが本当に奇跡だと常々思っていて、それが凝縮されたシーンだと感じたからです。

 

なーちゃんに限った話じゃないんだけど、乃木坂ちゃんって最近のアイドルには珍しくグイグイ前に出てこないというか、あまり積極的に自分アピールしないというか。ステージに上がる仕事してるのに、「目立ってナンボ」みたいなノリがあまり感じられない。そんな控えめな彼女らが、ここまで芸能界でスポットを浴びる存在になったって、凄いことだと思うのね。

他のアイドルをあまり知らないので比較は難しいけど、グループアイドルって、もっと上昇志向が強い子が売れるような気がします。

なら、そういう子が乃木坂ちゃんの中に一人でもいたら、ブレイクするのはもっと早かっただろうか。僕はそうは思わなくて、そういう子がいたら、たぶん今みたいな雰囲気にならなかったし、ヘタすればもっと大勢辞めていた気がします。

 

乃木坂が結成された2011年は、確かAKBがフラゲ歌ってノリにノッてた頃だ。でも乃木坂ちゃんといえば、バラエティ番組(乃木どこ)でガヤもできない。トークはつまらない。すぐ泣く。「これでAKBのライバル...?」って感じだった。だけど、彼女たちは、けしてヤル気がなかったわけではなくて、今思えば、ただどうして良いのか判らなかっただけなのだろうと。

何者でもなかった彼女たち。何者になりたいかも判っていなかった彼女たち。そんな子たちばかりが集まったからこそ、手を取り合って、目の前の試練に一つ一つ丁寧に取り組んで、ゆっくりだけど着実にステップアップして、ここまでの存在感を放つようになったのだと僕は思う。

彼女たち一人一人の物語はそんなに大それたものじゃなかったのかも知れない。わりとどこにでもいる、年頃の女の子が誰でも抱える平凡な悩みと、平凡な日常と、ほんの一瞬だけ開いた非日常の扉。そして彼女たちはそこに集まった。それを偶然と呼ぶのか、必然と呼ぶのか、運命と呼ぶのか、僕には解らないけど。

あの時期、あの形で、ああいう気性の子たちが集ったっていうこと自体が奇跡だと思えてならない。初期メンバーの誰が欠けていてもダメだった気がする。いや、売れていたかも知れないよ。だけど、雰囲気は今と同じにならなかったんじゃないかなって。

だからこそ、彼女たちが乃木坂に入ってくれて本当に「有り難い」と思っている。

 

そんな中であのMVですよ!

劇中、なーちゃん演じる学生は、ほんの偶然からアイドルを志すことになる。一方で、アイドルにならなかった彼女の物語も並行して進む。最終的に二人の物語は交わることになる。

アイドルにならなかった彼女から、アイドルになった彼女に向けての「ありがとう」。それは、「アイドルの世界に踏み込んでくれたこと。アイドルを続けてくれたこと」への感謝。

アイドルになった彼女から、アイドルにならなかった彼女に向けての「アリガト」。それは、「アイドルに憧れてくれたこと。アイドルを続ける勇気をくれたこと」への感謝。

これってたぶん、そのまま「過去と現在の彼女たち自身の関係性」が描かれていると思うけど、同時に、アイドルとファンの一番基本の関係だと思うのね。

あのシーンは、乃木坂ちゃん自身や、乃木坂を応援するファンや、乃木坂に関わる人の分だけ、投影できる物語が存在すると思っています。けど、その全てに共通するのが「乃木坂46に入ってくれて『ありがとう』」という気持ちなんじゃないかなって。

 

ってことで、あのシーンが大好きな理由を述べてみました。

 

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どんな出来事でも、ある観測点から見れば奇跡である。したがって、どんな事象についてもほとんど例外なくいえることだが、今回の物語も、いろいろな偶然が重なった、その結果だった。つまり、偶然というのは、人が偶然だと感じる、ただそれだけの評価であって、その気になって観察すれば、自然界のいたるところに偶然は存在する。木の葉は偶然にも、私の足許に舞い降りる。こんな奇跡的なことが無限に発生して、日常を形成するのだ。

森博嗣魔剣天翔」(P.18)

 今回のブログタイトルも、同じく森博嗣さんの「君の夢 僕の思考」からの引用です。

なな年目の転機

僕の一推しである西野七瀬さんが、乃木坂46からの卒業を発表しました。

 

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驚いた。うん。

正直、彼女はまだ当分卒業しないと思っていた。明確な根拠は無い。なんとなく。

たぶん、あのグループが彼女にとって本当に居心地の良さそうな場所に見えたから。他にも、紅白やレコ大やドームコンサートなどの大きな経験の後、これらを指して、また狙いたいという旨の発言をしていた。「もう一回、ってなったら本物かな」って。だから全ツが終わって次のライブの発表も無かったし、年末の歌番組や12月の海外単独ライブに向けて力を溜めていく時期なのだろうと、勝手に思い込んでいた。

そんな矢先の電撃発表。正に青天の霹靂。

だったらじゃあ、いつなら卒業発表に最適なのと問われても僕には判りっこないんだけどさ。

でも、ちょっと特殊な職業ではあるけど、お金をもらって働く雇われ仕事には変わりない。転職に最適な時期なんてのは、本人の気持ちと、その時の状況によるとしか言えないワケで。だから、彼女が周囲の人と相談して決めて発表したのなら、これが最適なタイミングだったという事。本人的に、ここら辺で線引きをしたいと思う何かがあったんだろうね。

 

とにかく勇気の要る決断だったと思う。

トークを振られて怖いと泣きだす彼女。街頭で一般人にティッシュを受け取ってもらえなくて泣きだす彼女。仲間にボディタッチができないと泣きだす彼女。同じメンバーにさえ「存在自体が儚い」「守ってあげたいNO.1」と言われてしまう弱々しい女の子。トーク番組に出ても、自分からあまり話すこともない。長くMCを務めるグータッチでさえ、やっと喋れるようになったぐらい。

そんな頼りなさげな印象を持つ彼女が、自分の足だけで外の世界に踏み出すことを決めた。

マカオの空に飛び出した、あの時の姿がフラッシュバックする。

 

Twitterにも書いたから詳細は省くけど、僕はその頃、人生のどん底に居た(大袈裟でなく)。生きることが心底辛かった。だけど彼女がバンジージャンプに挑む姿を見て、前を向く勇気をもらえた。僕がいま笑顔で日常を過ごしていられるのは、間違いなく彼女のおかげ。

アイドルって凄いよね。テレビの中で歌って踊って、トークして、泣いたり笑ったりしているだけで、人の生き方を変えてしまう力を持っているんだもん。西野七瀬さん、貴女はよく「自分なんて」的な発言をするけど、貴女に救われて、生きる希望を持てた人間が、少なくともここに一人は居ますよ。

 

「頼りなさげ」なんて書いたけど、実際のところ僕はそんなことは微塵も思っていない。

人気はトップクラス、グループの顔とも言えるセンターを数多く務め、モデルなど村外の仕事もこなし、ソロ曲の数はグループ最多、常に矢面に立って走ってきた。誰よりも強いプレッシャーを感じていただろう。風当たりも強かったと思う。時には弱音を吐くシーンも見られたけど、それでも彼女は先頭を走り続けた。

だから、彼女は強い。何事にも屈さない、強い心を持っていると思います。

 

一つの仕事を七年も続けるって、凄いことなんだよ(僕は最初の仕事は三年保たずに潰れた)。ましてや、それだけ居続けた場所を離れて新たな世界に踏み出すというのは、本当に怖いはず。

以前の彼女は乃木坂を卒業したら芸能界も引退すると発言していた。映画「悲しみの忘れ方」の母親の発言からも、仕事に対して前向きな印象は受けなかった。だけど今回のブログには「この仕事を続けたい」とある。その言葉が僕は何より嬉しい。この芸能の仕事が楽しい、グループを離れてでも続けてみたい、って思うようになったんだね。この何年かで得た経験が彼女を変えたのかと思うと、それもまた感慨深い。

なるほど、乃木坂が結成されて七年も過ぎたんだなと、改めてしみじみ。

 

それに、この卒業を指して「勇気が要る決断」と書いたけど、卒業に限った話じゃないんだよね。

何かをすれば叩かれる。何もしなくても叩かれる。僕ら一般人でさえ、Twitterやネットでのちょっとした発言をあげつらって叩かれたりするから、わりと誰でも想像がつくはず。そして注目度は僕らの比ではない。一挙手一投足を監視され続け、いついかなる時も理想のアイドルであり続けなければいけない。

進むも苦境、戻るも苦境。留まるも苦境。そんな状況で何か行動を起こすというのは想像を絶するプレッシャーだ。進むも勇気、戻るも勇気。留まるも勇気。どんな決断、どんな行動であれ、彼女(彼女たち)の選択は尊敬に値する。

だから僕はどんな時でも彼女を褒めます。「なーちゃん、すごいね」って。ただ甘やかして言ってるワケじゃないんだよ。本心で、彼女のやることなすこと何でも凄いと思ってるからこそ言うんです。

すごい。可愛い。偉い。格好良い。好き。

言い方はその時々で違うけど、どれも本気でそう思ってるし、根底にあるのは彼女への尊敬と感謝。語彙力無さすぎるのどうにかしたいんだけどさ(笑)。

グループ内での、彼女と周りのメンバーとのわちゃわちゃが見られなくなるのは寂しい。だけど僕は彼女の決断をすごいと思って、彼女のことを更に好きになったし、これからも応援したい。仮に芸能界から離脱して二度と会えなくなったとしても、心の中で応援し続ける。

 

ある人に「それで良いの?」って訊かれたけど、何の問題も無いよ。

彼女が、彼女自身の考える幸せに辿り着いてくれたら、それこそが僕の本懐。

 

西野七瀬さんの、これからの人生が輝かしく幸多きものであることを願って。

 

 

 

西野七瀬とは

 

「戀とは『糸し(愛し)糸し』と言ふ心」

「ジコチューで行こう!」カップリングの「あんなに好きだったのに・・・」を好きすぎて困っているっていう特にオチの無い話。

タイトルから受ける印象、そして演奏を抑えた歌い出しの
あんなに君を好きだったのに… なぜ こうなってしまったのか
という歌詞。どんな悲劇的な結末が待つのか、あるいは過ぎた恋への後悔を綴った歌かと思いきや、「これ以上ないほど好きだと思っていたのに、更に好きになってしまった」という正反対の展開だった(ヲタク流に言うと「限界突破」ってやつね)。完全に予想外。しかし、後ろ向きな恋の歌も好きだったけど、そんなひたすら前向きな恋も良い。

そして静寂を切り裂くように始まる、疾走感溢れるバンド風のサウンド。乃木坂の曲調にしては珍しい気がする。こういう系統の曲、凄く好きなんだよなぁ。ここでまた好き度アップ。

日差しが君の横顔を 照らしてる 教室の窓際で 何を見てるのか 気になったあの日から 僕の恋は始まった
恋の始まりはいつだって些細だ。後になってから気付くことも多い。「思えばあの頃から好きだったんだな」って感じで。明確にそれと実感できる恋の始まり方って少ない気がするけど、どうだろう?
あるいは、自分の気持ちを正当化するために、後付けでも良いから理由が欲しいのかも知れない。言い訳に近いものだ。でも、そんな言い訳も時々には必要なことだったりする。それによって自分の気持ちをより強く伝えられたり、自分の中に眠っていた想いに気付けたり、ってことがあるからね。
それほどまでに根拠や始まりの物語を求めたがる対象こそ恋と呼ぶのかな、なんて。

あんなに君を好きだったのに なんか自分のイメージとは違ってたんだ もっと真面目だろうなんて…
ノートを破って折った飛行機 こっそり飛ばしてたから もっと 好きになったじゃないか!

紙飛行機投げてるぐらいでますます好きになっちゃうなんて、微笑ましいにも程がある。それはギャップにやられたんじゃなくて、相手が何をしていても魅力的に見えてしまうほど既に惹かれていたんじゃないかな。
そもそも恋なんて、大部分は勘違いだ。人は勝手に、相手に期待する。
「こういう人に違いない」 「こういう人であって欲しい」
その期待が外れた時に、人は勝手に落胆する。勝手に憤慨する。
だからギャップを感じた時に幻滅するどころか逆に惹かれるようなったってのは、とてもラッキーなことだと言える。
何にせよ、その瞬間に胸を打った衝撃は、想像に難くない。それでも言葉にして説明せずにはいられない衝動(誰に向けた説明なのか、たぶん本人すら判然としないだろう)。そういう青臭さ、不器用さ、愚直さって、年とともに磨り減って失われていくので(少なくとも自分はそうだった)、幾つになっても忘れずにいたい気持ちだなって思う。

放課後、忘れ物を取りに教室に戻ったら、ちょうど彼女が窓から紙飛行機を飛ばしてる場面に遭遇した、っていうシチュエーションが浮かんだけど(安直)、陰のある表情ではなく、ちょっとイタズラっぽい笑顔で威勢良く、って方がここのイメージに合うなぁって感想。

長い髪を束ねた感じが 僕には優等生に見えた 傷つきそうな気がしていたから 守ってあげたいと やがて思い始めた
こんなに君にやられちゃうなんて まさか 普通の恋より刺激的だったとは… 先入観とのギャップがいい
クラスメイトを殴った教師に 教科書投げつけるなんて ちょっと僕は痺れちゃったよ

ここだけで話膨らませて一本映画作ってもらいたいぐらいに好みのストーリーです。
そういえば、これって「僕=男」で「君=女」だよね?若がインタビューで真逆のこと言ってるから、本気で頭抱えてるんだけど。笑
【インタビュー】ここから乃木坂46はジコチューしていきます!!(2/2) | 歌詞検索サイト【UtaTen】ふりがな付

そうそう、自分としてはダンスもこの曲の感想を述べる上で外せないポイントだったりする。
曲調と歌詞の感じからしてダンスはカッコイイ感じにするのかと思っていたんだけど、蓋を開けてみたら可愛い系だった。違うか、乃木坂ちゃんが踊ると可愛くなるだけか?(全ツ大阪DAY1で観た時はライブ全体のエモさに当てられてカッコイイ印象が強かったんだけど、改めて幕張全握で観たら可愛い印象を受けた)
まぁ、この際どっちでも良いや。好きすぎてリリース時から散々リピートしてたんだけど、ダンスをフル尺で観てから好き度が突き抜けてしまった。
ここまで来て、自分がこの曲にハマり込んできた経緯と、曲の流れがだいたい同じだなって気付いた。イントロ初聴きでちょっと陰がありそうな雰囲気に惹かれたのも、徐々に盛り上がって「やっぱりこの曲最高!」ってなったのも、ダンスを観て更に好きになったのも。
確かに君を誤解してた 僕の好きなタイプだった でも今になって気づいた ホントの君はそれ以上イケてるよ
そういう現実と創作の偶然のリンクに面白さを感じてみたり。MVまであったら、もっと好きになっていた。間違いなく。

やっぱり長いか。これでも文章をだいぶ削ったんだけどな。
とにかくさ、こういう青春の香りがプンプンする世界観って好きなんだよね(笑)。
内から湧き出てくる「好き」っていう感情を隠すことなく前面に押し出して。恋に恋して昨日よりも今日、今日よりも明日、さらに強く恋して。

そんな真っ直ぐな想いを僕も抱いていたはずだよな。っていう胸の燻りをtwitterとかで一言で表現しようとすると「エモい」になっちゃうので、それはそれでパッションを伝えるのには悪くない表現だと思うけど、じゃあどこがどうエモかったのかって話をダラダラ語ってみるのを一回やってみたかった。
ここまで付き合ってくれた人、どうもありがとうございます。(いるのか?)

ちなみに、タイトルの「戀」は「恋」の旧字体です。

サーキュレーション

サーキュレーション【circulation】
意味
1 循環。流通。流布。
デジタル大辞泉小学館

乃木坂46の「地球が丸いなら」のMVが公開されたので、考察にもならない雑感を徒然と。
乃木坂46 『地球が丸いなら』Short Ver. - YouTube

のっけから関係なさそうな用語の引用で始めました。
MV見た最初の感想「曲とストーリー関係なくね?」です。ツイッターでもそんな感想をチョイチョイ見かけた。
でも歌詞を読みこんでみて、連想できないストーリーではないなって気がしてきた。

もし 地球が丸いのなら
またきっと 帰って来る
水平線(ホライズン)の彼方から

終盤、砂浜を歩く3人の向こうには広い海と、空との境界。そして「地球が丸いなら」というタイトル。
彼女たちが何を思って冒険に出たのかは解らないけど、破滅的な逃避行ではなく、帰るという明確な意思を最初から持っていたことは伺える。でも、帰る場所があるからこその小さなイタズラとも考えられるけど、あの3人はどこをどう歩いても元の場所に戻ったんじゃないかと思えてならない。地球は丸いから、いつかグルっと回って戻ってくる。そういう暗示。

旅のしおりからも、行きと帰りでルートが違うことが読み取れる。新宿から品川経由で鎌倉に行き、同じ道を戻らずに江ノ島を経由して小田急で新宿に戻る。
「往復」ではなく「循環」
これって結構意味のあることだと思っている。
行って帰ってだと何となく無駄な感じがするけど、グルっと一周して帰ってきたら、その間に出会った諸々を拾って自分の中にすくい上げて、自分の中に何か変化があったような気持ちになれる。戻ってきた場所は確かに元の場所だけど、以前と同じ見え方ではないというか。
気分の問題でしょと言われてしまえばそれまでだけど。

ずっと以前、B'zが「Liar! Liar!」という曲を発表した時に、どこかの音楽誌が「螺旋的上昇」って言葉で評価を述べていたのを覚えている。簡単に言えば「一周回って戻ってきたけど、前よりグレードアップしてる」ってこと。ロードムービー的な映像作品って、少なからずこの要素が含まれている気がするんだけど、今回のMVを見ても、共通する要素を僕は感じた。
乃木坂っていつも同じような路線の曲を出しているようにも思うけど、それを歌う彼女たち自身は常に変化し続けている。だから、当然ながら同じ曲は二つと存在しないし、一つの曲を繰り返し歌っていても、毎回違う音色を届けてくれる。そんな乃木坂46の姿にも重なるものを見た。
今作の詞の中にも、過去の作品を連想させるキーワードが散見されて(それこそ、ただの偶然かも知れないけど)、当時に思いを馳せて今との比較で成長を感じながら聴けるのもまた楽しい。

そう 海流に乗って いつの日か
輝いた情熱と愛の日々

バスに戻り着席した飛鳥(役)の表情。ただ「楽しかった」だけでは済まされないような、何かを悟ったような眼差し。小さな冒険の中にも彼女たちは確かに非日常に触れて、何かを得て戻ってきたのだと思う。ありふれた言い方をすれば、「あのたった数時間で彼女たちは大人に近づいた」のだと感じた。

靴から払い落とされた砂粒が、あの道中で拾い集めた青春の欠片たちの、その残滓であるように映った。あの数時間こそが彼女たちにとって「輝いた情熱と愛の日々」の象徴となり、生涯かけがえのない物であり続けてくれたらと願う。

感想はこれで終わりなんだけどね。
冒頭で引用した辞書、実はまだもう一つ意味があったらしい。

2 普及度。普及高。特に、新聞・雑誌の発行部数やテレビ・ラジオの視聴率。

...だってさ。
乃木坂がもっと羽ばたいて世に知れ渡って、でも彼女たちがまた同じ場所に戻ってきてくれたら良いな。

※ 21stシングル「ジコチューで行こう!」カップリング曲