タイトロープ

人生綱渡り。決心のきっかけはいつも時間切れ。

奇跡と日常

問・「ありがとう」の反対の意味の言葉は?

 

これね、最近はネットでも普通に広まってる話で答えを知ってる人も多そうなので、引っ張らないで答えちゃいますが。

答えは「あたりまえ」です。

「ありがとう」は「有難う」と書きます。「有り難い」つまり「有る」のが「難しい」ということ。ただそこに有ることさえ難しい存在が、そこに有ることへの感謝の表現。なので、その反対は、「有って当然」と考えて感謝しないこと(=あたりまえ)になるわけですね。

※ ここには異なる解釈があるのですが、話の収拾つかないので割愛します。サラッと流してください()

 

ーーーーーーーーキリトリセンーーーーーーーー

 

さて、乃木坂46の22ndシングル「帰り道は遠回りしたくなる」のMVが公開されました。

乃木坂46 『帰り道は遠回りしたくなる』 - YouTube

MVの中で西野七瀬演じる女子大生が、同じく西野七瀬演じるアイドルに向けて「ありがとう」と書いた紙を掲げます。さらにアイドル西野がJD西野に向け、指で空中に「アリガト」と書いて返します。

僕、このMVが全般的に好きなんだけど、このシーンが特に好きです。

何が好きかっていうと、彼女たち(乃木坂ちゃん)が集ってくれたことが本当に奇跡だと常々思っていて、それが凝縮されたシーンだと感じたからです。

 

なーちゃんに限った話じゃないんだけど、乃木坂ちゃんって最近のアイドルには珍しくグイグイ前に出てこないというか、あまり積極的に自分アピールしないというか。ステージに上がる仕事してるのに、「目立ってナンボ」みたいなノリがあまり感じられない。そんな控えめな彼女らが、ここまで芸能界でスポットを浴びる存在になったって、凄いことだと思うのね。

他のアイドルをあまり知らないので比較は難しいけど、グループアイドルって、もっと上昇志向が強い子が売れるような印象があります。

なら、そういう子が乃木坂ちゃんの中に一人でもいたら、ブレイクするのはもっと早かっただろうか。僕はそうは思わなくて、そういう子がいたら、たぶん今みたいな雰囲気にならなかったし、ヘタすればもっと大勢辞めていた気がします。

 

乃木坂が結成された2011年は、確かAKBがフラゲ歌ってノリにノッてた頃だ。でも乃木坂ちゃんといえば、バラエティ番組(乃木どこ)でガヤもできない。トークはつまらない。すぐ泣く。「これでAKBのライバル...?」って感じだった。だけど、彼女たちは、けしてヤル気がなかったわけではなくて、今思えば、ただどうして良いのか判らなかっただけなのだろうと。

何者でもなかった彼女たち。何者になりたいかも判っていなかった彼女たち。そんな子たちばかりが集まったからこそ、手を取り合って、目の前の試練に一つ一つ丁寧に取り組んで、ゆっくりだけど着実にステップアップして、ここまでの存在感を放つようになったのだと僕は思う。

彼女たち一人一人の物語はそんなに大それたものじゃなかったのかも知れない。わりとどこにでもいる、年頃の女の子が誰でも抱える平凡な悩みと、平凡な日常と、ほんの一瞬だけ開いた非日常の扉。そして彼女たちはそこに集まった。それを偶然と呼ぶのか、必然と呼ぶのか、運命と呼ぶのか、僕には解らないけど。

あの時期、あの形で、ああいう気性の子たちが集ったっていうこと自体が奇跡だと思えてならない。初期メンバーの誰が欠けていてもダメだった気がする。いや、売れていたかも知れないよ。だけど、雰囲気は今と同じにならなかったんじゃないかなって、これはもうほとんど確信に近い。

だからこそ、彼女たちが乃木坂に入ってくれて本当に「有り難い」と思っている。

 

そんな中であのMVですよ!

劇中、なーちゃん演じる学生は、ほんの偶然からアイドルを志すことになる。一方で、アイドルにならなかった彼女の物語も並行して進む。最終的に二人の物語は交わることになる。

アイドルにならなかった彼女から、アイドルになった彼女に向けての「ありがとう」。それは、「アイドルの世界に踏み込んでくれたこと。アイドルを続けてくれたこと」への感謝。

アイドルになった彼女から、アイドルにならなかった彼女に向けての「アリガト」。それは、「アイドルに憧れてくれたこと。アイドルを続ける勇気をくれたこと」への感謝。

これってたぶん、そのまま「過去と現在の彼女たち自身の関係性」が描かれていると思うけど、同時に、アイドルとファンの一番基本の関係だと思うのね。

あのシーンは、乃木坂ちゃん自身や、乃木坂を応援するファンや、乃木坂に関わる人の分だけ、投影できる物語が存在すると思っています。けど、その全てに共通するのが「乃木坂46に入ってくれて『ありがとう』」という気持ちなんじゃないかなって。

 

ってことで、あのシーンが大好きな理由を述べてみました。

 

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どんな出来事でも、ある観測点から見れば奇跡である。したがって、どんな事象についてもほとんど例外なくいえることだが、今回の物語も、いろいろな偶然が重なった、その結果だった。つまり、偶然というのは、人が偶然だと感じる、ただそれだけの評価であって、その気になって観察すれば、自然界のいたるところに偶然は存在する。木の葉は偶然にも、私の足許に舞い降りる。こんな奇跡的なことが無限に発生して、日常を形成するのだ。

森博嗣魔剣天翔」(P.18)

 今回のブログタイトルも、同じく森博嗣さんの「君の夢 僕の思考」からの引用です。