タイトロープ

人生綱渡り。決心のきっかけはいつも時間切れ。

僕のジレンマ

北川悠理ちゃんが乃木坂46からの卒業を発表しました。

所謂「推しメン」と呼んでいる子の卒業に立ち会うのは初めてではありませんが、実のところ、乃木ヲタになって10年ほどの中で一番ショックを受けています。

理由は自分にも解らないんですけどね。
好きな度合い(というか依存度?)ならば、僕の人生を変えてくれた西野七瀬、乃木坂にハマるきっかけをくれた橋本奈々未、彼女らが抜けた後も乃木坂を支えると共に僕の心を乃木坂に繋ぎ止めてくれた齋藤飛鳥といった、歴代の推しメンの方が遥かに強いわけで。
ただ、彼女らの握手会には、2016~18年頃に時々行ったものの全然ハマらなかったんですよね。別に彼女らの対応が悪いとかそんなことは全然なく、凄く楽しかったですよ。でもなんか、テレビの中の子を拝みに行ってる感覚で「あー、実在するんだ。可愛いな~」だけで終わってしまって。やっぱりテレビやライブでメンバー眺めてる方が楽しいなって、ずっと思ってました。

現役メンバーに目を向けても、先に好きになって追っていたのは遠藤さくらちゃんや賀喜遥香ちゃんで、悠理ちゃんを応援するようになったのはだいぶ後です。

でも以前のエントリーでも書きましたが、あるライブで悠理ちゃんのパフォーマンスを見た時に、どうしてもその感想を彼女に伝えたいという衝動に駆られて、能動的にミーグリに参加しました。その時、ミーグリ(and握手会)を「テレビの中の子を拝む場所」ではなくて「応援する気持ちを本人に伝える場所」だと初めて認識できたんです。

それ以来、悠理ちゃんのミーグリには定期的に参加してます。他の子のミーグリも時々行くものの、やっぱマメに会って話したいと思うのは悠理ちゃんだけなんですよね。飛鳥ちゃんが卒業発表した時も結局行かなかったし。

だから僕の場合、「好きな度合い」と「会いたい気持ち」は別物なんだと思います。
ヲタクが良く使う「○○は彼女で、××は嫁で、△△は推し」みたいな文法がミジンコほども理解できないんだけど、人によっては僕みたいな考えも理解できないだろうし、結局こういうのって人それぞれだから、いちいち言語化して説明する義務はないよね。っていう言い訳。(身も蓋もない)

ま、とにかくそんなこんなで、悠理ちゃんは1年間ほどのミーグリを通じて認知も得られていたし、心の距離は他のメンバーより近かった自覚があります。

あと、卒業発表のタイミングが意外すぎました。
最後の1期生である齋藤飛鳥卒業コンサート
真夏の全国ツアーの募集日程発表
これらの直後、後輩メンバーだけで新しいスタートを切ろうというタイミング。

何よりも、まだ4期生から卒業メンバーが出ると思っていなかった。
歴代の推しメンについては、タイミングの意外性こそあっても、結構長くやっていた感があったし、同期も既に抜けてるし、いつ卒業してもおかしくないっていう心構えのようなものが薄っすらとあった気がします(4期生だって加入から4年半強、1期生に置き換えたら4thバスラの前辺りなので、ここまで誰も抜けなかったことの方が幸運だったとは思います)。
でも、悠理ちゃんは、少し前には大学4年に進級したことや、

仕事と学業の両立に向けた意気込みなどをブログで語っていましたし、これからの展望は明るいと思っていたので、完全な不意打ちを食らって呆然としました。

過去イチにショックの大きい理由は、その辺が強く作用してるからなのかな?という自分なりの分析結果。どっちにしろ、悠理ちゃん大好きなわけだし、そんな注釈は必要無いんだけど一応ね。

 

さて、ここから本題(前置きが長くてゴメン)。

 

同じ坂道グループ・櫻坂46の曲で「僕のジレンマ」というものがあります。

これを読んでくれてる人には今さら説明不要かと思いますが、念のため。
この曲は櫻坂の1期生で人気メンバーの渡邉理佐の卒業時に、彼女の最後のセンター曲として発表されました(22年4月に4thシングル「五月雨よ」のカップリングとしてリリース)。

僕、この曲メチャメチャ大好きなんです。
坂道とかアイドルとか、そういう括りも一切関係無しで、間違いなく2022年のNo.1ソングだと思っています。自分の人生トータルで考えてもトップクラスに入るぐらい好きです。

旅立ちに即した心情を読んでいて、惜別・夢・愛情といった、人生の様々な局面に投影でき得る歌詞。
ノスタルジーをかき立てる切なさと、まだ見ぬ新世界に駆け出したくなるような壮大さを併せ持ったメロディ。
聴くたびに胸が締め付けられて、目頭を熱くしています。本当に名曲だと思います。
(正直、なんでこれ表題曲じゃなかったんや...って常々)
 
ですが、注意して歌詞を読みこんでみると、違和感を覚える部分もあるんですよね。
 
曲中の主人公「僕」は、夢の為に旅立ちたい気持ちと、残していくものへの執着との狭間で葛藤しています。夢を追いたいけど「君」を残していけない、心が引き裂かれるほどに苦しい。ゆえにジレンマ。
でも、この「僕」は2サビで「どこへも行かない」「ここに残って後悔しよう」と言って夢を諦めています。

「好きなんだ」

そんな僕の 身勝手なサヨナラでさえ 仕方ないねと
君にそっと微笑まれて 白旗揚げた

 

無理だよ
もう 僕は どこへも行かない
優柔不断と 言われても構わない
無理だよ
どちらかを一つだけ
選べと言うならば ここに残って後悔しよう
それ自体は物語の展開としてアリですが、卒業する(旅立つ)メンバーをセンターに据えて歌うには、ちょっと変じゃないですか?その状況で歌うなら、「君」を振り切って旅立つ物語にするべきでは?少なくとも僕がこの曲の作詞家なら、そうします。
まぁ、一度そのような描写をすることで葛藤をより強烈に表現しているとも受け取れるし、その後も「僕」の葛藤は続いていて結論を保留してるようにも見えるので、物語の外で、やはり旅立ちを決意するのかも知れないな...と自分を納得させていました。
それはそれで悪くないシナリオ展開だし、何より曲調が好きだからね...と、大して深く考えずに日常的にヘビロテしていました。
 
でね、悠理ちゃん卒業の知らせを聞いてから、特にこの曲が琴線に触れるようになって、改めて歌詞を読みこんでみました。
すると、先に述べたような違和感が、突如として氷解しました。
 
これは、旅立つ「僕」の想いではなくて、残される「君」の願望なんじゃないか?というインスピレーションが浮かんだのです。
※これが正しい解釈なんて思ってません。あくまでも僕の勝手な妄想なので、そのつもりで読んで下さい。
もうちょっと補足しますと...
卒業する理佐=「僕」="A"
見送るメンバー=「君」="B"
としましょう。
僕は今までずっと、この曲は、旅立とうとしている"A"自身の視点で描かれる、自称(一人称)の物語だと思っていました。けど、見送る立場の"B"が「旅立つ"A"は、このように思っていて欲しい」と願っている、他称の物語だと仮定したらどうでしょう?
"A"が夢を諦める描写に説明がつきませんか?
 
あの人は夢の為に、自分を置いて去ろうとしている。でも、どうにかして、繋ぎ止めたい。
叶うなら、夢を諦めて自分と共に残る未来を選択して欲しい。
そんな"B"の願いが表出したのが、あの「好きなんだ」から2サビの物語なんだと思います。
 
どうしてこんな風に解釈したのかと言えば、乃木坂からの卒業を決めた悠理ちゃんに対して僕が抱いている想いが、それに近いものがあったからです。推しメンの新たな門出を笑顔で見送りたいものの、どうにも心が囚われてしまっている自分がいます。
悠理ちゃんは、自分の夢を叶える為に乃木坂からの卒業を決断しました。己が夢の為に今の立場を捨てても前進する彼女の姿を、頼もしいな、カッコイイな、と思う反面、行かないで欲しい、卒業を撤回して今まで通りの活動を続けていって欲しい、なんて考えてしまいました。

 

また、1サビはストレートに"A"の苦悩を描いたものとしても良いし、上と同様、"A"に宛てた"B"の願望としても意味は通じますね。
ジレンマ
今すぐに行かなきゃいけない
わかっているのに 足が動かないんだ
ジレンマ
でも君を 一人だけ
残して行けない 心が引き裂かれるくらい
"A"という主体が、自分でそのように考えるか、
"B"という他人が、そのようにあって欲しいと願うか、
どちらも同じ人物の心の動きを歌っているのに、物語は全く違う顔を見せてきます。
 
"B"の他称による物語だと捉えると、「足が動かない」「心が引き裂かれる」といった表現の持つ負の要素が一気に増大する。
繋ぎ止めることは叶わないと知っている。それが無理だから、せめて、旅立つ貴方も内心では自分への未練を抱き続けて欲しい。
その立場でそう願うなら、その言葉を発するなら、それはもう呪いの領域なんですよね。

だって、こういうことでしょ?
「貴方が私への想いと夢の狭間で悩み続けるならば、私の心は多少なりとも救われるでしょう」

 
とても身勝手で醜悪な妄想。だけど純粋で切実な、心の底からの願い。
願いと呪いって、本来は同じものだということが良く解る。
言葉は似てるけど「せめて、旅の途中でも私を思い出して欲しい」なんて生温いものではない。
1サビをそういう風に解釈できると気付いた時に初めて、自分もまた、そんな呪いを彼女に押し付けようとしていたのだということに思い至りました。
 
考えてみたら、ここまで明確に「夢がある」と高らかに宣言して次のステップを明かした子は、今までの推しメンには居ませんでした。そんな彼女が眩しくて羨ましくて、自分が置いていかれたような寂しさと焦燥を感じてしまったのかも知れない。
自分がこれ程までに軟弱で浅ましい人間だとは思っていなかった。まぁ凹みましたね。
 
でも、先日のミーグリで会話した際、悠理ちゃんはいつか夢を叶えたら、また僕らファンの前に戻って来たい、と話してくれました。(グループからは卒業という形をとるけど)彼女は片方を捨ててなどいなかったんですね。
ああそうか、この子は強いな...って改めて感心しました。
人生で大切なのは 選択することだ
すべてを手に入れようなんて 虫がよすぎるってこと
この曲中にこんなフレーズがあって、確かに人は常に選択を迫られるけど、必ずしも、夢の為に何かを諦めなきゃいけないわけではない。僕は知らない間に、ステレオタイプな思考パターンに染まっていたのかな。
欲張ったって良いじゃん。何かを欲する心って、願いの根源じゃんね。
それが彼女の、夢を追う原動力なんだなって思い知らされました。
 
笑顔と感謝とエールで彼女を送り出したいというのも、紛れもない本心。
仮に二度と彼女に会えなかったとしても、彼女からは一生掛かっても消費しきれない程の元気と幸せをもらっているから、何があっても頑張れる。その気持ちに嘘はないし、先日のミーグリでは彼女にそう伝えた。卑しい気持ちは精一杯隠して。
 

卒業まで、あと2週間。会って話をするチャンスは2回。
心の底からの笑顔で彼女を送り出すために、何を考えれば良いだろう。